内職!~在宅で稼ぐ100の方法~ FONT>
外で働きたくなかった私は、在宅で働ける内職募集を探していろいろなサイトを訪れました、しかし、見つかる情報は怪しげな
「必ず稼ぐ、稼げる!!」といった、内容のわからないものばかりでした。
そんな中で
、ちゃんと内職を紹介をしているサイト
、また、
ちゃんと稼ぐことのできる方法
、得する方法
があることを知りましたそんな私が発見したサイトを紹介し、同じような境遇の人の助けになればとホームページを作りました。
主婦のための総合サイトを目指します!
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>感動する話
感動する話
ネットで見つけた感動する話を集めました。ひとのあったかさにふれることができます。私も何度読んでも泣いてしまいます。
11 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(宮城県)
[] :2008/09/13(土) 22:30:22.75 ID:cRKNS5Ta0
私の母は昔から体が弱くて、それが理由かは知らないが、母の作る弁当はお世辞にも華や
かとは言えない質素で見映えの悪い物ばかりだった。友達に見られるのが恥ずかしくて、
毎日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨てていた。ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の大
好きな海老入れといたよ」と私に言ってきた。私は生返事でそのまま高校へ行き、こっそ
り中身を確認した。すると確に海老が入っていたが殻剥きもめちゃくちゃだし彩りも悪い
し、とても食べられなかった。家に帰ると母は私に「今日の弁当美味しかった?」としつこ
く尋ねてきた。私はその時イライラしていたし、いつもの母の弁当に対する鬱憤も溜って
いたので「うるさいな!あんな汚い弁当捨てたよ!もう作らなくていいから」とついきつく
言ってしまった。母は悲しそうに「気付かなくてごめんね…」と言いそれから弁当を作らな
くなった。
それから半年後、母は死んだ。私の知らない病気だった。母の遺品を整理していたら、日
記が出てきた。中を見ると弁当のことばかり書いていた。
「手の震えが止まらず上手く卵が焼けない」
日記はあの日で終わっていた。
「今日は〇〇の好きな海老を入れた。相変わらず体が思うように動かなくてぐちゃぐちゃ
になったけど…喜んでくれると良いな」
何で食べてあげなかったんだろう…今でも後悔と情けなさで涙が止まらない。
12 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(宮城県)
[] :2008/09/13(土) 22:34:05.04 ID:cRKNS5Ta0
小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。
担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。
クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。
私は、A君の言葉を忘れない。
「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」
A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした
昨日、デパートのポストカードなどに美しい水彩画と、A君のサインを発見いたしました。
N先生は今、僻地で小学校で校長先生をしております。
先生は教員が少なく、子供達が家から2時間ほどかけて登校しなければならないような
過疎地へ自ら望んで赴任されました。
N先生のお家には、毎年夏にA君から絵が届くそうです。
A君はその後公立中高を経て、美大に進学しました。
お別れ会でのN先生の挨拶が思い浮かびます。
「A君の絵は、ユトリロの絵に似ているんですよ。
みんなはもしかしたら、 見たこと無いかもしれない。
ユトリロっていう、フランスの人でね、街や 風景をたくさん描いた人なんだけど。
空が、綺麗なんだよ。
A君は、その才能の代わりに、他の持ち物がみんなと比べて少ない。
だけど、決して取り戻せない物ではないのです。
そして、A君は それを一生懸命自分のものにしようしています。
これは、簡単なことじゃありません!」
A君は、空を描いた絵を送るそうです。
その空はN先生が作り方を教えた、
美しいエメラルドグリーンだそうです。
19 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(宮城県)
[] :2008/09/13(土) 23:07:02.46 ID:cRKNS5Ta0
ある女の人が学生の頃に強姦されました。
男性不信になった彼女はずっと男性を避けていましたが、会社勤めをしているうちにそんな彼女に
熱烈にアタックしてくる人がいました。
その男性の優しさや「こんな自分でも愛してくれるんだ」という気持ちから、彼女も彼と交際を始めました。
そして交際を重ねて二年、ずっと清い交際を続けてきた彼が彼女をホテルに誘いました。
彼女は「大好きな人とできるのだから怖くない」と自分に言い聞かせましたが、やはりベッドの上で
パニックを起こしてしまったそうです。
その時、彼は彼女が泣きながら切れ切れに語る辛かった過去を辛抱強く穏やかに聞き、最後に
泣き伏してしまった彼女に「ずっと大変な事を一人で抱えてきたんだね」と頭を撫でたそうです。
そして彼女の頭を一晩中撫で続けながら、彼女に語りかけていたそうです。
「これからはずっと俺が守るから。もう怖い思いはさせないから」
「焦る事は無いよ、ゆっくりと分かり合おう」
「君はとてもキレイだよ、ちっとも汚れてなんかいないよ」
「ごめんなさい」と繰り返す彼女に、彼は一晩中優しく語り掛け
「いつか、君が僕との子供が欲しいと思う時まで、心で深く分かり合っていこうよ。
僕が欲しいのは君の体じゃなくて君自身だよ」
と言い、その後彼女と結婚するまでの五年間、おでこにキスくらいまでの清い交際を続けました。
そして結婚してからも焦る事無く、ようやく初夜を迎えることができたのは結婚後二年経ってから
だったそうです。
そして、私と弟が生まれました。
弟が二十歳になるのを待って、母が初めて子供二人に語ってくれた話でした。
その話を聞いたとき、母の苦しみや父の愛情、そしてそれに母がどれだけ癒されたのか、今ここに
自分の生がある事のありがたさを知って、ボロボロと泣きました。
お父さん、お母さん、愛し合ってくれてありがとう。
さらにその後、父とその件について話した事があったのですが、ホテルでの一件の後
父は結婚してから母を一人にする事のないように自営業を始めるため、五年間貯金を
したそうです。
開業資金、結婚資金が貯まって、母にプロポーズをした時も「一生子供が作れなくてもいい」
と思っていたそうです。
実際、振り返ってみても父と母はいつも一緒にいた所しか思い出せません。
そんな両親も今はこの世にはいません。
二年前に母がすい臓ガンで、昨年父が脳卒中でこの世を去りました。
母の命日に位牌を抱いたまま冷たくなっていた父を見て、弟と二人号泣しました。
「お父さん、本当にお母さんのことが大好きだったんだね」と大の大人が葬式で
わぁわぁ泣きました。
法事まで母を一人にできなくて同じ日に亡くなったんでしょうか。
私たちを叱る時、精一杯厳しくしようとして、出来なくて、目に涙を浮かべながら
一生懸命大きな声を出していた父と、大きくなって「恥ずかしいよ」と文句を言っても
私たちの頭を良く撫でてくれた母。
本当に最高の両親でした。
27 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(宮城県)
[] :2008/09/13(土) 23:21:00.60 ID:cRKNS5Ta0
会社経営していた親父は46歳で癌で死んだ。
社命がかかっているので(小さな会社だが)告知望み死期を医者から教えてもらった父は
厨房の俺から見ても超人的な気力で仕事の引継ぎや遺産相続の処理を行い、それから死んだ。
死を覚悟し全部自分で成し遂げたかっこいい親父だと思ってた。
それから10年経ち、大学を卒業した俺は「好きなことをしなさい」と言う母を押しのけ亡き親父の会社へ入った。
親父が亡くなったあと、祖父の代からいる番頭さんが会社をまとめてくれていた。
「もしも○○←俺、が会社を継いでくれる日が来るなら」と俺が継がないなら番頭さんが辞めるときに
この会社も終わりにしよう、と親父が言っていたらしい。
俺の初出社の日、番頭さん(といっても社長だが)が初めて話をしてくれた。
当時あれだけ冷静に死の準備をしていたように見えた親父の話だ。
死が逃れられないことを知った親父は本当に会社の屋上から飛び降りようとしたらしい。
それを番頭さん以下数人でタックルして阻止したことや
俺や弟と酒と酌み交わす日が絶対に来ないことを、妹の未来のだんなには絶対会えないことを
狂ったように親父が嘆き悲しんでいたこと、
死を前にしてもクールに見えた親父の別の面をこのとき初めて聞いた。
俺にとっての親父のイメージってカッコイイ40歳くらいの時の写真だからさ。
しがない会社だけど、俺の代では絶対につぶさない。
29 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(宮城県)
[] :2008/09/13(土) 23:38:00.39 ID:cRKNS5Ta0
中学のとき、体が弱いA君ってのがいてさ。
まあ普通に授業とかは受けられるし普段は元気なんだけど、体育とかあんまり参加できなくて、ちょくちょく入院してた。
馬鹿だった俺は純粋に「学校休めて良いなー」みたいな、そんな感じで、あんま関わったこと無かった。
でも中3の夏休み、塾の夏期講習の帰り道でA君と出会って、話のノリでA君の家に遊びに行った。
2人でゲームしたり、受験の話したり、好きな子の話とかしたりして、夏休みからかなり仲良くなった。
それで冬になって、丁度今みたいな受験シーズン。
俺は普通の高校だったけど、Aは県でトップの難関校志望だった。
なんかしてやりたいって思って、俺男の癖に裁縫得意だからフェルトでお守り作ったんだ。
受験日前日にお守りあげたら、A、号泣ww
「ありがとう、ありがとう…頑張るよ」ってずっと言ってて、何故か俺も涙目だったww
んで合格発表の日。
見事俺もAも合格!
2人で抱き合って泣きながら笑った。
Aが合格したことが本当に嬉しかった。
一通り行事も終わり、残るは卒業式って頃に、お約束のタイムカプセル皆で埋めた。
俺のクラスはかなり自由で、食い物以外は何でも入れてOK。
俺は適当にZARDのCDとか入れてたww
んで、中学の友達とも疎遠になっていた4年前の成人式。
中学の同窓会も兼ねてたんだけど、学年の3分の2位しか来なくて、Aも来てなかった。
飲み食いした後にタイムカプセル開封。
自分の分開けたりして一通り盛り上がった後に、Aの分見つけた。
見るつもりは無かったんだけど、その中に俺宛の手紙があった。
中を読んで愕然とした。
「お久しぶりです、20歳の俺くん。
この手紙を読んでる頃には、僕はもういないでしょう。もし生きていたら、これを君に読まれる前にこっそり隠しているからね。
(中略)
友達が居なかった僕と、一緒にゲームをしてくれてありがとう。
対戦モード、CP相手以外やったこと無かったから。凄く嬉しかった。
この前(と言っても今の俺くんにとってはずっと前)、「卒業してもまた遊ぼうぜ」って言ってくれてありがとう。でもごめんなさい、その約束、果たせなかったよ。
そして、お守り。
あのお守りが合格させてくれた、絶対そうだよ。
ちゃんとしたお礼がしたいと思ってたんだけど、できなかった。
だから、この手紙を読んで家に帰った後、空に向かって僕の名前を叫んでみて。
何か落とすから。楽しみにしててね!
それではさようなら。
俺くんの親友、Aより」
Aが亡くなったことは皆も知らなかったみたいで、俺は盛り上がってた会場抜けて家まで走った。
もう死ぬ気で。
家着いたらベランダまで登って、近所迷惑くらいな大きな声で叫んだ。
「Aーーーッ!」って。
5分くらいずっと叫んでたんだけど、何も変化ナシ。
途中から泣けてきて、声も出なくなった頃。
柵にかけてた手に、白い物体。
雪だった。
そのまま降り続け、かなり積もるまで俺ずっとベランダで体育座りで号泣。
雪が暖かかった。
まあ、こんなとこです。
感動出来なかったらごめんなさい。
でもこれは本当に起こったことで、俺の中では今でも大切な思い出です。
ありがとう。
感謝するのはこっちの方じゃないか。
ありがとう。ありがとう。
33 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(宮城県)
[] :2008/09/13(土) 23:48:13.34 ID:cRKNS5Ta0
『…もしもし…?太郎?…美代子が亡くなった……。』
携帯電話から流れてくる音声は美代子の彼氏啓太のものだった。
啓太と美代子は僕の親友といってもいいほどの関係で
ウチにもよく二人で遊びに来ていた。
僕は呆然とし耳を疑い聞き返した。
亡くなった…とはどういうことか…何が原因で死んでしまったのか。
美代子は心臓に持病があったが回復しているはずだった。
その日も何事もない幸せな生活を彼女は送っていた。
そして…何事も無く終わるはずだったのだ…。
死因は急性心不全。
夜中に風呂に入り……その後浴槽で倒れているのが見つかった。
啓太は心なしか震える声で、そう僕に告げた。
11月14日にお通夜が、15日に告別式をするそうだ。
だが僕がその連絡を回したのはそれから2時間経ってからのことだった。
泣いていたのではない。
ただ、考えていたのだ。
ただはじめての近しい人の死…しかも親友の啓太の彼女。
啓太はどんな辛い気持ちなのだろう…。死ぬって何だろう。
死を受け入れることを拒むかのようにひたすら何かを考えていたのである。
そうしなければ…幼い頭がどうにかなってしまうような気がして。
混乱した頭を何とか運び、15日の告別式に出席した僕を待っていたのは
不謹慎だが演技かと思うほど沈痛な面持ちの啓太だった。
告別式はすすり泣く声とともに…だが驚くほど淡々と進んだ。
啓太は…ずっと彼女の家族とともに式の進行を補助していた。
僕は泣きそうになるような気持ちを堪えながら、美代子を拝見し
式の進むのをただ見ていた。
ファーン・・・・・黒塗りの車が美代子を乗せて式を後にする。
その時啓太はこう言った。
『俺は医者になって美代子のような患者を助けるんだ』と。
それから3年後。
僕はあまり会わなくなっていた啓太にであった。
啓太は医者になることはあっさりあきらめていた。
それに新しい彼女もいるらしい。
久しぶりだということで二人で喫茶店に入り
他愛もない話をして、別れた。
もう忘れてしまったのか…仕方ないかと思い
気にせず僕は日常の日々を過ごしていた。
そんなある日。
誰に僕のメルアドを聞いたのか啓太からメールが来た。
『この前は久しぶりに会えて楽しかった。また遊ぼうな(^0^)』
これだけの短いメール。
だが僕はこのメールで初めて泣いた。
Miyoko-never-forget1113@****.ne.jp
この彼のメルアドを見て…。
告別式でも堪えてしまった涙がとめどなく溢れる。
よかったな美代子。8年経っても決して忘れられていない。
そしてこれからもずっと啓太の心には美代子、君が住んでいる。
僕なんかよりもずっと啓太は君の事を考えていたんだ…。
それからさらに3年後啓太とはメールをする程度の関係を続けている。
僕は大学の文型学部に進み、彼は自動車の専門学校に通っているそうだ。
医者からは遠ざかってしまっているが、彼の好きなことを学ぶのは悪くないことだろう。
そして…彼のメルアドはもちろん3年前と変わらずのままである。
37 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(宮城県)
[] :2008/09/14(日) 00:29:01.35 ID:AChfx+8B0
「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく
自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、
外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し
国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。
どうか、耐えてもらいたい」
(吉田茂 昭和32年2月、
防衛大学第1回卒業式にて)
40 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(宮城県)
[] :2008/09/14(日) 01:35:28.86 ID:EpstdCue0
死んだ親父はよく食いに連れてってくれたな
うまいんだけど、親父は食うのが早くて、
食い終わるとじっと怒ったよな顔でオレが食べるのを見てた。
「早く食え」って言ってるみたいでちょっとヤだった。
こないだ初めて子供とラーメン屋に言ったら、やけにおいしかったらしく
ガツガツ食うわ、あせって水飲むし、ちっこい手で丼つかんでスープ飲んでハァハァいってる
可愛かった
そしたら「ねぇなんでじっと見てるん?怒ってる?」
オヤジ・・・
42 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(宮城県)
[] :2008/09/14(日) 01:51:35.90 ID:EpstdCue0
2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。
その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。
少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
少女「で、何しにきたんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。
寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて
夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。
私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。
あんたらにわかるか?
消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。
でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」
最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。
あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。
団体は撤退。
彼女が門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。
43 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(宮城県)
[] :2008/09/14(日) 01:54:45.82 ID:EpstdCue0
入社4年目で初めての結婚記念日の日。
社内でトラブルが発生した。
下手したら全員会社に泊まりになるかも知れないという修羅場なのに、
結婚記念日なので帰らしてくださいとは絶対に言えなかった。
5時を回った頃、T課長が俺を呼びつけ、封筒を渡して、
「これをK物産に届けろ」と言う。
K物産は、隣の県にある得意先で、今から車で出ても8時までに着けるかどうかすら分からない。
「届けたら直帰していいから」と言うが、直帰も何も、
K物産に届けて家まで帰ったら、きっと11時は過ぎるだろう。
文句を言いたかったが、「わかりました」と言って封筒を預かった。
中身を見ようとすると「中身は車の中で見ろ。さっさと行け!」とつれないT課長。
不満たらたらの声で「行ってきます」というと、課内の同情の目に送られて駐車場へ向かった。
車に乗り込み、封筒を開けると、一枚の紙切れが。
「結婚記念日おめでとう。今日はこのまま帰りなさい」と書かれていた。
会社に入って初めて泣いた。
その翌年、T課長は実家の家業を継ぐために退社した。
送別会の席でお礼を言ったら「そんなことあったか?」と空とぼけていた。
T課長、お元気でおられるだろうか。
44 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(宮城県)
[] :2008/09/14(日) 01:56:45.04 ID:EpstdCue0
幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。学もなく、技術もなかった
母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。それでも当時住んでいた
土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに
遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。
ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。俺は生まれて初めての
プロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。
野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。母がもらったのは
招待券ではなく優待券だった。チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わ
なければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外の
ベンチで弁当を食べて帰った。電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に孫を見せて
やることもできた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように
「野球、ごめんね」と言った。俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。
45 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(宮城県)
[] :2008/09/14(日) 01:58:42.99 ID:EpstdCue0
俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。
まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。
この手の話でよくあるような、「母親がいない事を理由にいじめられる」なんて事も全然なくて、
良い友達に恵まれて、それなりに充実した少年時代だったと思う。
こんな風に片親なのに人並み以上に楽しく毎日を送れていたのは、
やはり他ならぬ父の頑張りがあったからだと今も思う。
あれは俺が小学校に入学してすぐにあった、父母同伴の遠足から帰ってきたときのこと。
父は仕事で忙しいことがわかっていたので、一緒に来られないことを憎んだりはしなかった。
一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれて、寂しくもなかった。
でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、
その日仕事から帰ったばかりの父に「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい」ってお願いしたんだ。
当時の俺はガキなりにも母親がいないという家庭環境に気を使ったりしてて、
「何でうちにはお母さんがいないの」なんてことも父には一度だって聞いたことがなかった。
星の形のにんじんだって、ただ単純にかっこいいからって、羨ましかっただけだったんだ。
でも父にはそれが、母親がいない俺が一生懸命文句を言っているみたいに見えて、とても悲しかったらしい。
突然俺をかき抱いて「ごめんな、ごめんな」って言ってわんわん泣いたんだ。
いつも厳しくって、何かいたずらをしようものなら遠慮なくゲンコツを落としてきた父の泣き顔を見たのはそれがはじめて。
同時に何で親父が泣いてるかわかっちゃって、俺も悲しくなって台所で男二人抱き合ってわんわん泣いたっけ。
それからというもの、俺の弁当に入ってるにんじんは、ずっと星の形をしてた。
高校になってもそれは続いて、いい加減恥ずかしくなってきて「もういいよ」なんて俺が言っても、
「お前だってそれを見るたび恥ずかしい過去を思い出せるだろ」って冗談めかして笑ったっけ。
そんな父も、今年結婚をした。相手は俺が羨ましくなるくらい気立てのいい女性だ。
結婚式のスピーチの時、俺が「星の形のにんじん」の話をしたとき、親父は人前だってのに、またわんわん泣いた。
でもそんな親父よりも、再婚相手の女の人のほうがもらい泣きしてもっとわんわん泣いてたっけ。
良い相手を見つけられて、ほんとうに良かったね。
心からおめでとう。そしてありがとう、お父さん。
47 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(宮城県)
[sage] :2008/09/14(日) 02:07:24.94 ID:EpstdCue0
初めてのあかちゃんに無我夢中だった。
ろくに眠らず、夜鳴きもひどかった娘。
へとへとに疲れはてて、抱っこでゆすりながら
「あんたはママを苦しめたいの?ほんとにひどい子だ」と
悪態をついた日々。
赤ん坊の気持ちなんて、全然わからない。
母親の自信なんて、みじんもない。ただ、もがくだけの日々。
あれから数年たって、娘は五歳になった。
「あのね、ママ」(もじもじ)
「なぁに」
「あたしね、ママのこと、生まれたときからすきだったの」
あの頃の私が一番聞きたかった言葉。
やっと聞けた。こっそり台所で泣いた。
49 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(宮城県)
[sage] :2008/09/14(日) 02:10:12.63 ID:EpstdCue0
俺が結婚したのは俺が20、妻が21の時で、学生結婚だった。
二年ほど、貧乏しながら幸せに暮らしていたが、あるとき妊娠が発覚。
俺は飛び上がるほど嬉しくてひとりではしゃぎ、
無茶はするな、という妻の言葉も無視し次の日には退学届けを提出。
叔父さんの経営している会社にコネで入れてもらった。
まあ、とにかく俺はやる気満々で働きまくって子供元気に育てるぞ!
ってなもんだった。単純だった。
その後しばらくして交通事故で妻がお腹の中の子と一緒に死んだ。
このあたり本当に今でも良く思い出せない。
なにやら言う医者につかみかかって殴り飛ばしたこと、
妻を轢いた車の運転手の弁護士を殴り飛ばしたことは
うっすら覚えている。(むちゃくちゃだ)
そのあとは本当に記憶が曖昧だが、
葬式もきちんとすませ、手続きなんかもテキパキこなし、
何日か実家で休んだあと家に戻った。
それからは日付の感覚もなく、テレビも見ず、ただ米を炊いて、食って過ごした。
自分が鬱なのだとか落ち込んでいるのだとかそういう思考もなかった。
自分でも状況がよくわかっていなかった。
なんとなく、カッターで指先を軽く切っては治るまで放置する、
とかいう今思うとほとんど病気(そうだったのだろうが)のような
事を繰り返して過ごした。
死のうという気持ちもなかったと思う。
当時のことを友人や親に聞くと、様子伺いの電話などには
きちんと受け答えしていたというのだがあまり覚えていない。
おそらくそんなこんなで半年は生活していたと思う。
ある時夢を見たが、何の夢かは覚えていなかった。
とにかくひたすら謝っていたように思う。
ふと目が覚めて、ああ、なんか悪夢をみたなと
体を起こしてその光景に心臓が止まるかと思った。
目の前に小さな女の子がちょこんと座って俺を見ている。
なんだこれは、夢か?まだ夢か?と思いながら
自分の心臓の鼓動で視線がぐらつくのを感じてびっくりした。
とっさに水子の霊だと思った。死んだ俺の子が化けて出たと思った。
そのときがはじめて自分の妻と子供が死んだとちゃんと
認識した時だったように思う。
その子が、「大人なんだから、ちゃんとしなきゃだめなんだよ!」
と俺を叱りつけた。
もう混乱に継ぐ混乱だ。汗なんかダラダラ出て、
俺、心臓麻痺で死ぬんじゃないかと思った。寝起きだしなおさら。
そのとき、部屋のドアから大慌てで隣の部屋の奥さんが入ってきた。
「すみません!この子勝手にはいっちゃって・・・」
そこでやっと現状を把握した。
よくよくみれば、この子は隣の家の子共で、
妻がいた頃はなんども会話を交わしたことのある子だった。
ドアを開けっ放しにして寝ていたところに入ってきた実在の人間だ。
幽霊じゃない。
ああ、違うのかと思った瞬間、
なんだかベロリと目の前の幕がはがれたような感じで、
俺はその子にしがみついて号泣していた。
「すいません」と「ありがとうございます」を意味不明に連発していたと思う。
あとから聞いた話では、そこの一家はひきこもっていた
俺のことを心配してくれており、
何度も夫婦で何をして上げたらいいか、と相談していたらしい。
その相談を一人娘のその子は聞いていて、
落ち込んだ大人を励ましてやろうと活を入れにきたらしい。すごいやつだ。
とにかく、その日がきっかけで俺はカウンセリングに通い、二ヶ月ほどで職場復帰。
届けも出さず休んでいた俺を休職扱いにしてくれていた叔父は
快く迎えてくれ、しばらくのあいだ毎晩メシをおごってくれた。
隣の夫婦とも仲良くなり、寝起きの悪い旦那を起こしてくれとか言う理由で
毎朝家に呼ばれ、朝飯をごちそうになった。(かなり強引だ)
とにかくもう俺の周りの人間が神級にいいひと達だった。
俺は救われたし、妻と子供の死をちゃんと悲しむことができた。
で、その娘さんが先月結婚した。
(すでにその隣室の親子はマイホームを建て引っ越していったが未だに仲良くしてもらってる。)
親戚が少ないから、とか言う理由で式にまで俺が呼ばれ、
親族紹介のあとその子と話す時間があった。
俺とその子は口が悪い感じの関係で(15も年が離れているのに)、
その日もあまりにも綺麗になったその子に動揺して
「オメーまだ18才なのに結婚しちゃってもったいないな」
などと俺が言うと笑いながら
「寂しいのか、あんた?」などといいやがるので
寂しいよ!と言った。
俺は昔、お前に助けてもらった、おまえのお父さんとおかあさんにも
助けてもらった、だからお前のこととても大好きだ、
だから寂しい!とまくし立てるとまた号泣していた。
30過ぎたおっさんがヒックヒック言いながら花嫁の前で号泣だ。
はずかしい。気づくとその子も大泣きだ。
新郎側はびっくりしただろうな。
親以外のおっさんと新婦が大泣きしてるんだから。
俺は今でも結局独り身だが、
その子が困ったらなにがなんでも助けてやろうと思っている。
恥ずかしいのでその子には言わないが。
もう俺にとってはあの子は自分の娘みたいなものなのだ。
なにぶん前半は10年くらい前のことなので
なんだか人ごとのように淡々とした文章で申し訳ない。
本も読む方じゃないし文章も稚拙ですまん。
58 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(宮城県)
[] :2008/09/14(日) 02:20:23.87 ID:EpstdCue0
もともと貧乏だったのに、俺が9歳の頃に大好きだった親父が死んだ。
妹がもうすぐ産まれると言ってはしゃいでたのに、働いていた工場で機械に挟まれて死んだらしい。
それから2ヶ月後に妹が産まれた。
親父が生きている頃の母は専業主婦だったが、妹が産まれてからすぐ職を探した。
妹を保育園に行かせるお金がなかったから、おばさんの家に預けて、スーパーでレジを打っていた。
「おばさんの家が近くて、よかったね。」と母が何度も言っていたのを覚えている。
俺が13歳、妹が4歳になった頃には、親父の遺産も底を尽きて、家計が厳しくなってきた。
母の収入だけじゃ食費もままならない状態で、ご飯は朝と昼の2食だけ。
母はかなり痩せ、以前よりやつれていた。
腹は減るけど、不幸だとは思わなかった。幸い妹は元気で、俺の学校での成績はよかった。
俺はいつも母に「大きくなったら大手に勤めて、母さんに楽させてやるからな。」と言った。
それを聞いて母は、いつも「ありがとう」と笑ってた。
その年の12月のある日、妹が「ゆず湯に入りたい」と言い出した。
俺の家ではほとんどテレビをつけないから、多分おばさんの家で見たのだろう。
俺が妹に「ゆずはちょっと高いから、今は無理かな。また今度な」と言っても、妹は聞かない。
とうとう泣き出してしまった妹に母が言った。「ちょっと待っててね、今ゆず買ってくるから」
そんな余裕はないはずなのに、母は出かけていった。
数十分後、母がビニール袋を提げて帰ってきた。
袋の中には、みかんが2個。きっとおばさんの家から貰ってきたのだろう。
しかし妹の喜ぶ顔を見ていたら、別にゆずじゃなくても良いような気がして、何も言わなかった。
その晩、みかんが2個浮かんだ風呂から、母と妹が上がってきた。
妹は満面の笑みで「気持ちかったーーー」と喜んでいる。
そんな妹を見て、母も笑っていた。
俺は、片方が潰れた2つのみかんが浮かんでいる風呂に浸かりながら、
無邪気に笑う妹の顔と、久しぶりに見た母の楽しそうな顔を思い出していた。
ふと大好きだった親父の顔も浮かんで来て、涙が出てきた。
「親父、3人とも幸せだよ。まだまだ、これからだ。」
俺はそう呟いて、潰れていない方のみかんの皮を剥いた。
63 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(宮城県)
[] :2008/09/14(日) 02:31:05.48 ID:EpstdCue0
ささいな事で旦那と喧嘩をして家の中でお互い無視三日目。
二歳の娘がおもむろに私の手を引っ張り旦那の所へ。
旦那の手を取り、私の手と旦那の手をくっつけ
『あーくしゅ』
と言いながら泣いていた。
数秒の沈黙の後、三人で号泣。
きっと子供心にずっと辛かったんだろうな。
ごめんね。ありがとう。
72 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします(宮城県)
[] :2008/09/14(日) 03:02:54.94 ID:EpstdCue0
もう10年も前の話。
妻が他界して1年がたった頃、当時8歳の娘と3歳の息子がいた。
妻がいなくなったことをまだ理解できないでいる息子に対して、
私はどう接してやればいいのか、父親としての不甲斐なさに悩まされていた。
実際私も、妻の面影を追う毎日であった。
寂しさが家中を包み込んでいるようだった。
そんな時、私は仕事の都合で家を空けることになり、
実家の母にしばらくきてもらうことになった。
出張中、何度も自宅へ電話をかけ、子供たちの声を聞いた。
2人を安心させるつもりだったが、心安らぐのは私のほうだった気がする。
そんな矢先、息子の通っている幼稚園の運動会があった。
“ママとおどろう”だったか、そんなタイトルのプログラムがあり、
園児と母親が手をつなぎ、輪になってお遊戯をするような内容だった。
こんなときにそんなプログラムを組むなんて・・・
「まぁ、行くよ♪」 娘だった。
息子も笑顔で娘の手をとり、二人は楽しそうに走っていった。
一瞬、私は訳が分からずに呆然としていた。
隣に座っていた母がこう言った。
あなたがこの間、九州へ行っていた時に、
正樹はいつものように泣いて、お姉ちゃんを困らせていたのね。
そうしたら、お姉ちゃんは正樹に、
「ママはもういなくなっちゃったけど、お姉ちゃんがいるでしょ?」
「本当はパパだってとってもさみしいの、」
「だけどパパは泣いたりしないでしょ?」
「それはね、パパが男の子だからなんだよ。まぁも男の子だよね。」
「だから、だいじょうぶだよね?」
「お姉ちゃんが、パパとまぁのママになるから。」
そう言っていたのよ。
何ということだ。
娘が私の変わりにこの家を守ろうとしている。
場所もわきまえず、流れてくる涙を止めることが出来なかった。
10年たった今、無性にあの頃のことを思い出し、また涙が出てくる。
来年から上京する娘、おとうさんは君に何かしてあげられたかい?
君に今、どうしても伝えたいことがある。
支えてくれてありがとう。君は最高のママだったよ。
私にとっても、正樹にとっても。
ありがとう。
(出典 2CH)
掲載に何か問題があれば対処いたしますのでメールください。
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